
”芭蕉翁塚 杜鵑の墓 (5月2日)”
松尾芭蕉の「奥の細道」の一コマに那須町が登場する。黒羽方面から那珂川を渡り、那須湯本へ行き、遊行柳を経て白河へ行脚している。那須町で最初に投宿したのが庄屋高久角左衛門家だった。天候が悪く2泊したが、その時に懐紙に詠まれた句が、高久家に残されている。その隣にあるのが「芭蕉翁塚 杜鵑の墓(とけんのはか)」である。旧4号線沿いにあるが、久しぶりに立ち寄ると手入れが悪く雑草が生い茂っていた。訪問者が気持ち良く訪れられるような整備が日々必要であろう、このような観光資源を立てっぱなしで継続する思いに欠けていると思われても返す言葉が無いのではないだろうか。草葉の陰で芭蕉翁も嘆いているかもしれない。
「落ちくるや高久の宿の郭公(ほととぎす)」
最終回は、バスに乗って現地での見学でした。「芭蕉翁塚・杜鵑の墓」を訪れたところ、街道沿いの騒音がひどい場所で、隣の工場の人が訪問者を迷惑そうに眺めていたのを思い出しました。
手入れが行き届いていない。---- 確かにそうです。
那須町は住民の数が少なく、町域は広すぎるほど広い。
こういうことに税金を使えないのでしょう。
もったいない話です。
現在、芭蕉翁塚の隣りは大規模造成中でした。工事許可書を見える範囲で探したのですが、分かりませんでした。何が出来るのやら。
観光資源でもありますから、観光事業者のボランティアもありでしょうか。
あっ、叱られそうですね。お前がやれと。(笑い)