
”福寿草(2月12日16時頃)”
「年賀状は止めます」というメッセージを数年前に頂いた若かりし頃の上司、「私は勝手に近況報告のつまりでご挨拶しますのでお気遣いなく」とのやり取りをしたが、今年は、返信が有った。代筆はお嬢さんだった。「父は体調がすぐれず代筆で失礼します」と添えてあった。3年前までは年に一度は電話でご機嫌伺いをしていたが、妻の体調不良も有り電話連絡が疎かになっていた。この上司は、私のサラリーマン人生で、刺激を頂いた何人かのお一人だ。生産工場でも技術畑で中堅時代を過ごし、コスト意識、財務関係の重要性に拍車を掛けてくれた。穏やかな口調だが、酒が入ると歌の世界にのめり込むという昭和のオジサンでもある。
昨日ご自宅へ久しぶりに電話を入れた。「今日は、ディサービスへ行っています。明日は在宅しています。認知症が進んでお話が嚙み合わないかと」とお嬢さんの寂しそうな言葉が耳に残る。本日約束の時間に電話を入れた。お嬢さんが昨日同様の電話対応の状況をアドバイスされ、電話口を代わった。やはり、誰と話をしているのか判断が出来なのだろう、当たり障りのない会話が1〜2分、長話は負担になるだろうと会話を打ち切り再度お嬢さんに代わって頂く、3年前に心臓の大病を患いその時の全身麻酔が認知症を呼び起こしたらしいとのこと。私が3年前に元気なお声を聞いた後、現状の姿になったようだ。今年で95歳を迎えられるが、お嬢さんが支えになられているのだろう。元気な時の姿とだぶらせるとやるせない。全ての人間が因子を含んでいるらしい。いつ発症するか他人ごとではなさそうだ。